美濃部選挙への態度
- 1967年『コンミューン』号外
この文章自身は、当時の三派全学連(とりわけ都学連)における論争を踏まえて、改めて美濃部への態度を学協解放派として打ち出したものであるが、社青同解放派(東京)の中心メンバーとの綿密な討論を経たものである。
広汎に存在している労鋤者人民の美濃部候補への幻想の根拠を階級形成の遅れとしてつかみ、革命的プロレタリアートが、いまだ独立した階級運動と党を確立しえていない時点での、階級形成の促進として問題をたてる。
それは美濃部が、中間層的利害の秩序づけのもとにではあるが、現実の労働者人民の当面する諸要求という不可欠の領域を部分的に担っているからである。
当面する諸要求のための闘いによって形成されていく部分的団結は、普遍的・革命的団結の前提条件であり、さらに、労働者階扱にとって団結とは、費本との闘いのために不可欠な武器であるにとどまらず、労働官僚による支配を実践的に突破していく自立のための方策である。
部分の中に孕まれている新しい質は、新しい全体としてのみ全面展開する。量から質への転換は、単に突然おこるのではなく、現象的には突然おこるように見えても、量的拡大の背後で現在的に質的転換が進行していなければならない。
- 社会党革命同志会の出発
・・・社研、その中でも特に東京社研は東京の党の建設と左派の権力維持に大きな役割を果してきたでのあるが、最近社会主義協会のセクト主義によって若干の混乱を示し、さらに美濃部都政下の新しい階級闘争に対して統一した正しい対応を貫きえない危機的な状態におかれている。これは社研が左派の共同戦線として思想的・理論的あいまいさを性格としてもたざるをえたいからである。
我われはこの社研の中にあって分散した状態におかれていては、社研そのものも強化することができない。従って、社研を強化するという基本的立場に立ちつつも、その共同戦線としての性格上機能しえない側面をカバーする独自な組織の必要を、我われは痛感してきた。
社青同東京地本が、社会主義協会の私物化の陰謀によって分裂という重大な困難に直面し、あるいは、東交の活動家が当局と組合から“二重の合理化攻撃”を受け、今また美濃部都政下における党の誤れる方針転換により闘う部分の地歩が奪われつつあるとき、我われは今こそ旗色を鮮明にしなければたらないと決意するに至った。
- 1971年3月機関紙『解放』
七〇年安保決戦を闘いぬいた現在、帝国主義ブルジョア政府打倒へ向けて更に前進するために、「戦後革新勢力」の実践的突破はますます緊急の課題となっている。すでに東水、都職、東交、教組等都労連傘下の戦闘的プロレタリアートの闘いをはじめとして、多くのプロレタリア人民の闘いは繰りかえし、「革新」都政との対立を深めており、さらに、「福祉行政」の足もとから、多くの「地域住民」の闘いがつき出されている。これらの闘いの発展こそ、秦野と秦野を押し上げる社会的勢力と根本的に対決していく萌芽なのであり、われわれは、これらの闘いの上に立つ独自立候補をもって都知事選を闘いぬくことを実践的に考慮しなけれぱならない段階を迎えている。
われわれの独自立候補をもっての闘いは、前に見たように「革新」都政と対立を深めつつある闘いの結合とそれによって開示された「要求綱領」・・・の上に為されるのであり、それによって全日本のプロレタリア人民の階級形成を強力に推進するものとして闘われねばならぬ。われわれは、そのことを真剣に考慮した。しかし、秦野の登場という情勢のもとでの今都知事選をわれわれは全プロレタリア人民への貴任をもつものとして独自立候補をもって闘うことができない。
「しかし、今さら美濃部を支持などできない」という多くの戦闘的プロレタリア大衆の強い実感は、「革新」都政への間違ってはいない評価を含んでいる。同時に、「それでは、秦野に対して今都知事選においていかに闘うのか?」という四年まえとははるかに緊張をはらんだ自問が、明らかに七〇年安保闘争の「四年間」での階級的前進を示すものとして、一方での「今こそ首都に革命的プロレタリア運動の巨大な隊列と革命的労働者党を!」という衡動と他方での「結局のところ美漉部に投票するしかないのか?」という一種の“気落ち”をはらんで行なわれていることに注意しなければならない。
コンミューン
号外
1967.4.13
社青同全国学生班協議会解放派
都知事選に関して全国の闘う学友に訴える
美濃部への批判的支持について
(一) 基本的情勢
六七年を迎えての世界情勢は次の如く要約出来よう。
所謂、ドル・ポンド体制の崩壊、は、六〇年を前後として極めてドラスティックな形で展開し、後進国に於る矛盾の顕在化と、先進国に於る構造的停滞期への突入となって現出していった。このような基本構造の中で六五年以後の特質は、この世界資本主義の矛盾の本格的な露呈に対して、現象的にブルジョア的合理性をもって、再編成を進めて行くものとして存在する。
勿論、それは、アメリカ帝国主義、EEC、そして日本等の根本的独自利害を含んでの現象的糊塗でしかないものであるが。
ケネディラウンドの試み、国際通貨機構問題、そして大平洋経済圏等々の問題がそれである。
それは、国際分業体制の再編であり、本質的には、最終的な心臓部に於る矛盾の爆発の準備でしかない。
このような中で、アメリカ帝国主義の力を利用しつつ、アジアに於る独自の帝国主義的従属圏の形成を、国内に於る強力な政治・社会秩序の再編をテコとしておし進めているのが日本帝国主義である。それは、東南アジア人民への反革命・人民抑圧載争への道であり、国内社会秩序の再編からくる矛盾を、ファッショ的反動化により収約して行く道でもある。
このような、世界的規模に於る決戦への「収れん」の中で、日本階級闘争は、極めて、ダイナミックな進行を示している。
第三次合理化と集中合併運動は、プロレタリアートの労働監獄への強力な封じ込めと、小ブルジョアジーの没落と不安を極限に迄進めている。すでに日本社会は、議会を通じてのプルジョアジーの幻想的共同性による収約は不可能となりつつあり、諸階級は独自の団結を、この幻想的共同体の底に生み出している。没落しつつある「旧」中間層を主軸とするファシズム運動の萌芽がそれである。
しかし、日本資本主義の社会秩序の再編は、他方、新たな帝国主義的社民の確立を生み出そうとしている。第三次合埋化の中で生み出された新なる産業下士官の部類である。そして、日本ブルジョアジーは、自ら強権的抑圧――上からのファッショ化――を行いつつ、同時に安心して権力のわたせる帝国主義的社民の育成に★狂奔している。JC路線、同盟の台頭とその政治的表現としての民社及び社会党構改派である。この中で旧い労働貴族(帝国主義的社民としては未確立であった)を基健とした民同左派は、労働運動のなだれをうっての右傾化の中で、日帝の脆弱性の中でのプロレタリアートの一定の戦闘性の上に自らの地位を保全しようとしており、旧中間層から自らを明確に階級として確立していない下層中小企業プロレタリアートと、旧中間層の癒着した党、日共との統一戦線と、民社との間をさまよっている。
いずれにしろ、この民同左派、社会党左派の運命は、帝国主義的社民――反独占国民戦線の帝国主義的確立――又は、スターリニスト党、又は、革命的労働者の台頭へと収約されるべき運命をもっている。今回の都知事選の特徴は、このような状勢を、衆院選の後をうけて一層鋭く表現しようとしている所にある。
言うまでもなく、松下は、日本ブルジョアジーと帝国主義的社民の連合候補であり、美濃部は、社民左派(広い意味での反独占国民戦線)とスターリニスト(民族民主統一戦線)の候補であり、阿部は、下からのファシズムの萌芽の現在的形態である。
そして、革命的プロレタリアートにとっての問題は、いまだ社民から自らを独立させ、独立した階級運動と党を確立しえていない時点での階級形成の促進としてのみ意義が存在するのである。
すなわち、中間層の権力基礎の、培養の中で自らのプロレタリア統一戦線の確立の一環としてのみ意義がある。
決戦はあくまでも、プロレタリア人民の反戦・反ファッショ・反合理化の実力闘争の中にあり、選挙は、その中に位置づけられてのみ意味をもつ事は言うまでもない。
まず我々は、現在労働者人民の間に広汎に存在している美濃部候補への「期待」や「支持」が闘いの前進にとって極めて大きな危険を孕んでいること、社共両党推薦の美濃部候補には一点の幻想をもつことも許されないことを確認しなければならない。
それは例えば「ところが物価問題の基本は国ですからね。都ではどうするこ乙もできたい。ただここでもできる限りのことをして最大の防衛をするだけでしょう。」(『世界』四月号)というような現在の地方自治体の限界の問題ではない。
言うまでもなく真の意味での「革新都政」の実現とは労働者階級による全国的な政治権力の獲得をもってその第一歩が可能となるような息の長い困難な過程を経なければならない性格のものであることは、いわゆる現在の「都市問題」にしてもその究極的な解決が、「都市と農村の対立」の止揚という労働者革命の根本問題にかかわる性格を孕んでいることからも明らかである。
従って「革新首長」の実現を端緒とする首都の労動者人民の当面する切実な要求を獲得していく闘いも全国的中央集権の下に立つブルジョア的な「地方自治」を利用しつくして、労働者階級が、自分自身の利害について明確な意識を引きだしつつ、全国的な政治権力の獲得に向って団結を拡大させエネルギーを発展させていく“赤い拠点”のための闘争としてあり、従って「革新都政」の施策も根本的な解決のための条件をつくりだしていく過渡的な方策なのである。だから、改良主義的な枠づけから、「革新都政」や「民主連合都政」の幻想をふりまく社共両党に示される現在の「革新勢力」の都知事選への対応は、犯罪的といわなければならない。
美濃部候補が都政革新の困難を訴え、都民の「合理的な考え方」を要請することは彼が単なる「人気」とりのデマゴーグではないことを示しているかも知れぬが、問題は美濃部候補の都政革新の把え方、「合理的な考え方」そのものに――それは社共両党に全く共通することであるが――必然的に労働者人民に敵対せざるを得ない思想がその基調として存在していることである。
そのことを端的に示しているものこそ「たとえば交通問題にしても路面電車を撤去する、これは誰が考えたって科学的・合理的には当然のことです。」「勿論公共料金を押えるための合理化はするけれども……」という言葉に表現されているような「近代化」や「合理化」へのまったく無批判な態度である。例えばここで言われている公共料金の値上げと合理化の問題とは、一体いかなる階級的性格のものであるのか。それは地方公営企業の赤字累積を理由として強行された「地方公営企業法の一部を改正する法律」の内容を見れば明らかである。
資本主義的生産様式の敵対的性格を基礎とした「産業と社会の発展」は、労働者人民にとっては全社会的な規模での「牢獄」の形成を意味しており、「合理化」「近代化」こそは、その強力な推進力としてあるという階扱社会の現実に全く無批判な態度こそこれまでの社共両党の帝国主義への屈服と一切の「裏切り」の根源的な原因なのであり、「革新首長」の反労働者性とは決して単に地方自治体の限界の問題ではないのである。
産業合理化をテコとする現在の「産業と社会の発展」を容認することを「科学的・合理的」と断言する美濃部候補にとっては、都政「革新」つまり「産業と社会の発展の諸結果」として顕在化する労働者人民の状態の悪化に対する否認、当面する切実な諸要求のための闘いは大きく規制されざるを得ず、それを突破しようとする労働者人民の闘いには「公共性」の名において敵対せざるを得ないのは不可避であり、そのためには彼が「規制」しようという「都公安条例」は必要★不要不可欠なもの、となるであろう。そしてこのような産業合理化への屈服こそ、社共両党の議会の外に独立してゆく階級的大衆闘争の発展の促進という課題を欠落した「議会主義イデオロギー」の社会的原因なのである。
一例として東交問題に対する社共両党の態度を見ればそのことは明らかである。
社会党と東交労組本部の屈服と裏切りを批判している日共にしても路面電車の撤廃とワンマンカーの導入という合理化に対して東交労働者に対する労働強化と搾取のみならず、その社会的隷属の飛躍的強化を粉砕していくということを闘いの重点におくのではなく、「都電斜陽論」という当局のイデオロギー攻撃に対しても「しかし都電こそは、明冶以来のながい伝統をもち、通勤・通学は勿論、停留所周辺の商店街、中小企業の生活と営業に密着し切り離すことのできない深い利害関係をもった交通機関です。」というような小市民的立場からしか反バクできず、従って「あくまでも職場での労働者の団結と闘いに基礎をおきながら」と言いつつも、実際には「地域住民との共闘」というカンパニア主義的運動に傾斜せざるを得ないのである。
以上のように美濃部候補と社共両党の「都政革新」路線が労働者人民の闘いの決定的な敗北を現在的に準備していくものとしてあるにもかかわらず、現実に労働者人民の間に広汎に存庄している美濃部候補と「革新都政」への「支持」と「期待」に対して我々はいかなる態度をとるのかが緊急の課題となっている。
現在全学連内部で論争されている美濃部候補への「批判的支持」か「マヌーヴァー的支持」か「★小児病的白紙投票」かという対立は、現圧広汎に存在している労働者人民の美濃部候補への「幻想」ということをどう把握しているのかということに深く関係している。(このことは当然その「幻想」をではどのように実践的に払拭していくのかという問題でもある)
美濃部支持は「幻想」であるという場合、社会的な意味での「幻想」とは、つねに、その現実的基盤をもっていることに注意しなければならない。
すでに見たような反労働者的な美濃部候補への「支持」や「期待」は労働者人民が「社共イデオロギー」に単に外部注入的に「汚染」されているからではなく、その階級的・政治的成熟の立ち遅れという根源的な問題から押えられなければならない。
現在の政治・社会体制の帝国主義的再編というあらゆる領域における支配階級の労働者人民の抑圧体制の強化の中で、労働者人民の社会的人間的苦痛は累積されているにもかかわらず、それを闘い抜いていく主体の立ち遅れは、政府支配階級への消極的批判、すなわち美濃部「支持」というかたちで表現されていく。
社共批判とは、現在の支配階級の全面的攻撃の中で極限的に増大していく労働者人民の社会的・人間的苦痛をテコに現実の活動として進行している階級形成の過程に彼らがいかに対応しているのか、あるいはいかに敵対しているかを問うことであり、その「国民主義的」「民族主義的」敵対を粉砕していくことであるが、ここでは、にもかかわらず現在社共両党による労働者人民に対する官僚支配を可能にしているものは何かということが問題にされなければならない。それは「新中間層」に擬制した上層労働者部類と没落していく旧中間層の社会性の表現としての「国民主義」的、「民族主義」的秩序づけのもとにであるが、彼等が、現実の労働者人民の当面する諸要求という階級闘争にとって不可欠の領域を部分的に担っているからである。この領域をカッコに入れたままでの、つまり現実の部分的諸要求の実現のための闘争をカッコに入れたままの「革命論批判」や「イデオロギー批判」は無力であるぱかりか、そのような一面的対立は厳格には社共の補足でしかない。
イデオロギー批判は労働者大衆の現実の諸要求とそのための闘いの衝動を発展させ貫き通すためにこそ、まさに実践的に不可欠のものたりうるのである。
だから美濃部「支持」というかたちで表現されている労働者人民の当面する切実な諸要求とその背後に形成されている部分的団結をただ「汚ならしいユダヤ的な形態」として切り捨て、当面の諸要求と革命の問題を分離することは、自らの「革命的な立場」や「思想」の貧困証明しか意味しない。
何故なら、それは当面する諸要求のための闘いによって形成されていく部分的団結は決戦に向けての普遍的・革命的団結の前提条件なのであり、さらに、労働者階扱にとって団結とは、費本との闘いのために不可欠な武器であるにとどまらず、労働官僚による支配を実践的に突破していく自立のための手段であるという結級形成の論理を少くも把握していないことを示しているからである。従って我々が美濃部を批判的支持するということは、単に「松下打倒」のためのマヌーヴァーではなく、彼のスローガンの中に部分的に表現されている労働者人民の切実な諸要求とその背後に形成されている部分的団結を我々は出発点とするからである。
だがすでに見たように美濃部候補のスローガンは個々分離できるものとしてではなく、彼のあるいは社共両党の全体的秩序づけのもとに提起されている。それは一言で言って、帝国主義の一般的承認を前提としてその諸結果を部分的に否認するという構想である。
だから美濃部候補に部分的に表現されている労働者大衆の当面する切実な要求の極端な実現を迫ることを通じて、その要求の発展を閉ざす全般的な「革新都政」の小市民的な限界づけと思想的・実践的に闘争し、それによって労働者大衆の独自の階級的利害についての意識を発展させつつ、ブルジョアジーの議会・行政権力の外に打ち立てられてゆく普遍的団結への闘いを促進していくことである。
我々は公安条例の撤廃、公共料金の値上げ反対、基地全廃等々の要求を断乎として貫徹することを要求しつつ美濃部候補の全般的性格をはっきり現在的に批判し、弾劾しなければならない。それは恣意的に「批判」の主観をくっつけての勝手な自己了解どころか、働らく大衆の現実の切実な諸要求の発展にとって欠くことのできないものだからである。
最後に中核派の「マヌーヴァー的支持」とブンドの「★小児病的白紙投票」について簡単に触れておかなければならない。
「松下を破って美濃部が当選するならば、総選挙に内在していた矛盾は一挙に開花し、新たな流働情勢が生まれることは必至である。首都の労働者人民は今日の階級関係を決定するこの選択権をその手中に握っているのだ。」という『前進』のタワゴトは、現実の階級闘争と選挙の逆転のみならず、彼らの「敏感な政治判断」が、階級形成=政治過程をまったく欠落した矮小な「政治力学主義」でしかないことを証明している。
一体選挙闘争で「松下打倒」を実現するとは何のことか?
松下は、現在の支配階級の階級利害を担ってあらわれているのではないのか? しかも「情勢の流動化」のためにのみ美濃部に投票するということは、広汎な労働者大衆の間に存在している「幻想」を固定化したままで、あるいはむしろその上に乗っかって「松下打倒」を追求することを意味する。(いかに美濃部への不信を強調しようとも)ここには「労働者人民との密着」の強調のそばから、労働者人民の「幻想」を物理力として引きまわす「前衛主義」、矮小なトロツキズムが顔をのぞかせている。労働者人民の美濃部「支持」の「幻想」を実践的に払拭していく闘いをぬきにする限り「美濃部勝利」による小市民的な「情勢の流動」の中で、労働者人民の闘いは、たちまち窒息させられていくであろう。
プンドの「白紙投票」とは、美濃部「支持」というかたちで表現されている現笑の労働者人民の切実な要求を、どのように独自の階級的要求へと発展させていくのかという闘争組織戦術とは全く無縁なところで、「我々の要求スローガン」が宙に浮かんでいるという小児病的光景である。さらにつけ加えておけば、「白紙投票」とは、直撲議会制度否定が問題となるような段階か、あるいは例えば最近の南ヴェトナムでの選挙のように銃剣のもとで投票を強要されるというようを場合にとられる極めて例外的な戦術なのである。
(二)都知事選をめぐっての戦略的問題について
すでに明らかにした如く、都知事選問題の、一般的選挙問題としてのみではなく、現在の激しい階級状勢の流動化の中で、民民統一戦線、反独占国民戦線等の権力問題を含んで存在しており、従って、革命的プロレタリア人民にとっては、この民民統一戦線、反独占国民戦線へ何をもって対応し、自らの権力基礎をうちかためて行くのかという根本問題をも提起している。
過去の苦しい敗北の歴史をもつ国際階級闘争の教訓の中で、我々は追りくる決戦へ向けての根底からの対応をせまられている。
従って、我々に、全国の闘う学友に対し、この都知事選の問題を通じて、我々が確立して行くべき方向性を再度鮮明にして行く中で、都知事選の問題をとらえかえし問題を明らかにして行きたいと考える。
我々の時代は、生み出されて行く世界資本主義の矛盾と、その激しさの中で、一時はあたかも、巨大な力をもってプロレタリア人民にその力を示したかに見えた様々の「思想」、「路線」が、極めて明白に崩壊しさり、真実の「革命的力」の産出が問われている時代である。もし、この問題を一般論としてしか自らに問えてないとすれば、すでにその点に於て、その個人、又は、組織は、プロレタリア人民の闘いとは無縁である。
コミンテルンの系譜の音を立てての社民化と、一方に於るスターリニズムの凝収、それが今、我々の目前にある。
この問題を、今当面の問題に絞ってみれぱ、次のような問題としてまとめる事が出来るだろう。
左翼が、自らを純化しようとすれば、大衆からの孤立――自己満足的閉鎖――そして大衆化しようとすれば、ズブズブの社民化、これは、第二次大戦前のコミンテルンが、敗北へ向けて歩んだ路であり、日本に於ては戦後の共産党が、そして、その矮小版が諸々の「新左翼」として存在している。
自己満足的閉鎖は、革マル派、及び頭の錯乱の中でブントがたどっている道であり、社民化は、中核派が歩んでいる道である。この公然たるセクト主義と陰然たるセクト主義、この根幹的原因は何であるのか。それは階級運動と宗派運動の根本的差異として我々はみて行かねばならぬ。
階級運動とは、プロレタリア人民が、自らにかかってくる社会的政治的矛盾を闘いぬくものであり、宗派運動とは、小ブルが自らの部分的矛盾の極大化の中で、それを革命運動と錯覚し、プロレタリア人民への矛盾を解明し、闘いぬく事により階級的自立をかちとって行くのではなく、様々な「技術」により、既成政党から「コボレ」おちてくるプロレタリア人民を、夢中になって、自分達のセクトへかこい込む運動である。
その内容については、すでに、学生運動の分野に於ては論争と実践に於て、プントや中核派が自己嫌悪におち入るほど示して来たのでここではのべない。近くは、明大闘争に於るブントの破産と、中核のアキレル程のセクト主義とその結果の明治に於る彼等の消滅となって現出している。我々は、階級闘争とは、プロレタリア人民が、自らの政治的社会的矛盾を闘いぬきその中で生まれてくる革命的団結を形成して行く過程として把握する。徒って革命的労働者党とは、必然的に、プロレタリアートの既成の党的表現(体制内的)内部から――形態論や、現象論ではなく本質論として――生み出されてくる闘いの中での団結の党的表現として、行動委員会運動とそれを基礎とした、既成党にかかわる分派闘争として表現されてくる。
社会党も、共産党も、小ブルジョア的制約のもとにある労働者党である。いいかえれば、労働者階級と中間層との「癒着した」党的表現である。より正確にいえば、それは、中間層の利害と、そして、それをもって、労働者階級の利害を部分的要求、体制内的要求――その団結としての表現の固定化へとおしとどめる形で成立している。
従って、労働者階級が闘いの中で、中間層との癒着をたち切り独立した運動と従って独立した革命的労働者党を確立する迄の過程は、かかってくる矛盾への闘いの構造は、必然的に極端化の戦術として進まざるをえない。
言うまでもなく、極端化の戦術とは、プント式に同じ事を「とらえかえして、つきかえす」のではなくまず、把握に於て社共をこえたものが存在し、それにより大衆運動を階級運動へと成熟させて行く「テコとしての行動委員会」及び、分派組織がその組織的支持点となり、その秩序の中へ社民的なスローガンの中に部分的に含まれているものを秩序づけなおし、極端化して行く戦術である。部分は全体の中にあってはじめて意味をもつのであり、また、量から質への転換は単に「突然おこる」のではなく、確かに「突然おこる」が、その背後で、質的転換は現在的に進行していなければならぬ。この中で何度も確認しておかねばならぬのは、自らが社民、日共と異り、それを本質的に止揚する矛盾の把握と従って運動の方向性が存在してはじめて、その中で生まれる団結は、社民、日共をこえたものとして産出され、革命的労働者党の基礎となっていくのである。すでにここに於て、完全に、社民、日共以下の革マル、ブント、中核派は失格である。一体彼等の反戦闘争論と方針は何か? 反ファッショ闘争の方針は? 教育闘争の方針は? そして、組畿論は? 何もないか、せいぜい我々の盗作でしかない。従って、「反スタ」という「気持」とか、社共はけしからんという「気持」で、資本のもとで苦闘し、社共に幻想をたちきろうとしている労働者に、また別の「鎖」をつけるものでしかない。
中核派の諸君、「革命的」「共産主義者」の名前を、「無所属」にまで格下げしようという「度胸」は「評価」しよう。
しかし、一度でよいから、一体自分達は、安保闘争以後、一度も現実の闘いに於て、何物もなしえないのか。近くは「明治のお粗末」の一件は何故なのか。理論的にも自らみとめる「低水準」なのか。それを深刻に路線まで含めて総括してみたらどうなのだろうか。その方が余程「革命」に役立つ。前進三二八号の論文で評価すベき点は、「コミンテルンの敗北の原因」と「プロレタリア統一戦線」なる言葉を使った事以外は、何もない。
プロレタリアートの闘うテコが、都労連左派、全学連、北小路だって? 都労連左派とはどこなのだ。そしてその部分は、何によって生み出されたのか? 全学連は、今何をもって全国学生還動の指導部隊たりえているのか?
前二者と「北小路氏」とは全く闘係ない事は明白である。
「解放派は今日の階級関係を生きた関孫として問題にしえない」? こんな事は、もう中核派の同盟員さえ信用しない。現在の社民の構造変化の原因ぱ? 反動化の構造は? ベトナム戦争は? 君等は一体何を語りえたのだ。我々の盗作以外に。唯、君らには若干むつかしい「本質論」をまじえて語ったので、君等には理解出来なかっただけの話だ。
「…社共への統一戦線的かかわりは前衛の思想的緊張に媒介されてのみ革命的たりうる」だって?
我々の組織論への無理解を一応容赦しておくとして、一体思想的緊張の内容は何なのだ? まさか、自らは社民と変らぬ把握と運動しかないのに必死で俺は社民ではないとガンパル神経の緊張ではあるまい。
一度でよいから内容を語ってみたらいい。
プントについては、水沢氏他四〜五人のおもいつきは、何から何迄失敗し(最近の関西プントとの「別個に進んで一緒に打て」の路線を見よ!!)さすがにやることがなくなってしまい、今はとにかく他は皆「ミノペ支持」だから、少々独自性を示すために「反対」の方がよいと思っているにすぎない。
「宗派は階級運動と区別された所に絶えず独自性をうちたてようとする」(マルクス)を百度も凝視せよ! この独自性に固執すれば「セクト」となり、「セクト」主義を超えようとすればズブズブで何もなくなるという間を、それこそ「悪無限」的にうろうろするブントや中核!
彼らは共産主義的独自性がプロレタリアートの世界史的団結そのものなのだということが、小ブル的頭にさっぱりとんと来ないので、絶えず独自性を打ちたて、たえずそれを解消しなければならぬ。君ら自身の「宗派」性とは何だといえぱキョトンとするだけだ。
だいたい「要求スローガン」とは、現実的に選挙に対して何をイミしていうのだろうか。
「マル戦派」が消滅しかかって、関西ブントをまるめ込もうとして失敗すれば、消滅の過程しかないのはあたりまえである。
※ そしてこの秩序づけについては、すみからすみまで社民的、スターリン主義的な臭いを嗅いでも否定されてゆかなければならず、しかもそれは、歴史的に形成されたものから積極的で現実的なものを引き継ぎかつ発展させるものでなければならぬ――
革労協機関紙『解放』 1971年3月15日号
秦野粉砕の闘いの一環として美濃部を批判的に支持せよ!
――革労協東京都委員会――
T はじめに
「都民には警察アレルギーがあるから、秦野ではダメだ」という自民党内部での“危惧”を「そういう感覚だから現状に対応できないのだ」と現代治安政策的視点から「批判」し、候補者選考の経過を「昭和元禄田舎芝居」とこきおろしてみせた秦野は、周知のようにその直後『秦野ビジョン』(「東京緊急開発行動計画―第一次五ヵ年計画」)を掲げて、佐膝と「談判」に入り、「四兆円をとりつけた」として都知事への立候補を明らかにした。現在、秦野は、「五十億円の宣伝費」と自民党広報委、広告大手の電通による大量宣伝を背景に、「国民運動の組織化」を強調する自民党の党組織のみならず、あらゆる公私のブルジョア的地域組織を総動員して総力的な選挙運動を展開している。そして、マスコミは、すでに「秦野の逆転勝の可能性」を語り出している。ここには、自民党の巧妙な世論操作が介在しているにせよ「あらゆる手段をもっての都政の奪還」(七一年度方針)を掲げる自民党と、危機感を深めつつある首都の全有産階級が、かつてない「熱気」をもって都知事選へ動き出しているのは事実であろう。
一方、去る一月二二日、「明るい革新都政をつくる会」は、六七年四月の社共の『政策協定』を「受けつぎ、革新都政四年間の実績と切実な都民の要求をふまえ、さらに発展させたもの」として『十大政策(一一六項目)』を発表し、昨年四月の京都府知事選にひきつづきすでにプロレタリア人民の切実な要求の議会主義的集約の能力すら喪失しつつある社会民主々義者にかわって「反ファッショ人民戦線」の政治的推進力を自認する日共の圧倒的なヘゲモニーのもとに美濃部再選を実現しようとしている。七〇年安保決戦を闘いぬいた戦闘的プロレタリア人民とわれわれが、この都知事選をいかに闘うかは、極めて重大である。
U泰野の登場の意味とその『ビジョン』性格
(1)われわれは、まず今都知事選への秦野の立候補の意味について徹底して注意しなければならない。当初、自民党を「現場の人闇の実感」から「批判」して立ち現われ(それは巧妙に「庶民の実感」にスリかえられているが、いうまでもなく、帝国主義ブルジョアジーの階級支配を「現場」で担っている部分の「リアルな」危機感からの「つき上げ」なのだ)、その後に「問題の抜本的な解決方法」と「現実的な実行力」を、美濃部に対置して誇示する秦野の登場の仕方は後に見るその『ビジョン』内容とともに七〇年安保闘争以降の帝国主義ブルジョアジーの攻撃の特徴的性格をはっきり示しており同時に昨年十月の沖縄「国政参加」選挙にひきつづき今都知事選が、支配階級の重大な攻撃であることをつきだしている。
いうまでもなく秦野は七〇年安保闘争に決起した戦闘的プロレタリア人民に対する大弾圧の直接的な最高責任者である。この秦野の登場とそれを押し上げる社会的勢力の形成は七〇年安保決戦におけるプロレタリア人民の部分的敗北の結果であった。戦闘的プロレタリア人民の多くをこの「社会」から物理的に抹殺し、隔離した大弾圧の執行者を公然と首都行政の「首長」に立候補させることによってプロレタリア人民の七〇年安保闘争総体をあからさまに嘲笑しその記憶を「近代的国民統合」の中にかき消そうとする帝国主義ブルジョアジーに対してわれわれは満身の怒りを感ずるとともに、この秦野と秦野を押し上げる社会的勢力をプロレタリアート自身の力によって粉砕していく決意を打ち固めなければならない。この闘いを押し進めていく上でわれわれが注意しなければならないことは第一に「旧内務官僚たたきあげの前警視総監」秦野の立候補は、ただ「警察政治の復活」ではなく、その『ビジョン』性格にはっきり示されているように、階級対立の深まりに対する支配階級の「現場」担当者のリアルな危機感とブルジョア的合理牲の醜悪な専門★白痴である「テクノクラート」たちの「計画」の癒着による「都市問題のブルジョア的解決」の担い手として登場していることである。第二に注意しなければならないのは秦野の選挙運動の性絡にも示されている帝国主義ブルジョアジーによる「大衆動員」の今日的形態である。四年まえ美濃部を押し上げたプロレタリア人民の根深い矛盾感覚と現状変革のエネルギーは、その後「革新」都政のもとで、その根本的な解決の展望がきり拓かれぬまま、むしろ「都民党」主義と社・共の「反ファッショ民主々義」による路線的戒厳令のもとに封じ込められてくる中で、小ブルジョア層の内部に秦野の「大資本の力と政治的強権をもっての問題解決能力」のつきだしにひき寄せられる傾向が生みだされている。「東京砂漠」における古い「地域社会」の解体傾向の中から生み出されつつあるプロレタリア人民の「戦後民主々義」を突破しようとする衝動の形成は、帝国主義ブルジョアジーにとってのみならず、革命的プロレタリア勢力にとっても「両刃のヤイバ」としてあるのであり(ファシズム大衆運動は「近代民主々義」の内部からのみ生み出された!)秦野を押し上げる社会的勢力は「国民」内部の根深い亀裂の中から、全有産階級のみならず都市下層のプロレタリア大衆の一部をもまき込んで形成されつつあること、秦野打倒は、この社会的勢力の解体止揚をぬきにしては根本的には立てられないのである。
(2)次に『秦野ビジョン』の反プロレタリア的性格について要約的に見ておこう。(この『ビジョン』は帝国主義ブルジョアジーの「都市再開発」構想の現実的な青写真であり、われわれは別の機会に詳細に分析しなくてはならない)「現場での実感をもとに汗と時間をかけて作成した」と秦野のいう『計画』は、佐藤が「わが党の都市政策の線にそった雄大かつ抜本的な計画」と述べたように帝国主義ブルジョアジーの七〇年代における反革命的な「都市政策」の現実的展開のための突破口的役割を担って登場してきている。
秦野は「東京という大都会には公害、住宅難、交通問題などいろいろな病気があるという現状認識は誰が見てもあまり変わちないだろうと思う」と自分の「ビジョン」の立脚点も「都民」の切実な要求であることを協調しつつ、だが、その「解決の仕方」で異なるという。だが「解決の仕方」で異なるということは、その原因の把握を含む「現状認識」で、はっきり異るということであり、その対象が「都市問題」というような階級問題である場合は、各々の「都市政策」は、鮮明な階級的性格を帯びざるを得ず、さらに階級闘争の現段階を内容的に刻印される。そして「ビジョン」は「都市問題」の原因を「この社会の都市化」の過程で「社会投資に十分の配慮を払うことができなかった」という点でとらえているのであるから、その「解決」策の基調は「科学・技術、工業の最新の成果を応用した都市空間の思いきった立体的利用でなければならない」とされ、そのための資金については「私は自民党政権の大きな力と大企業の力を借りる」という。具体的に見てみよう。
例えば「環八地下道路こそ、都市公害の最大の原因である自動車排気ガスおよび騒音の完全な解決方法である」とされる「無公害道路の建設」という「計画」の中には地下に封じ込められた排気ガスの処理方法は何ら明らかにされていず、さらにその中で働らく交通労働者の問題は全く排除される。このブルジョア社会の「発展」にとって隘路となった交通・運輸手段の合理化を背景に自動車、石油、鉄鋼、セメントなどの大資本の利害によって押し進められてきた無制限の「モータリゼーション化」に無批判なままの「完全な解決方法」などありえないのだ。「公害の発生源となる工場を積極的に外部に誘導する」と、秦野も「公害の発生源」を問題にする。「外部へ誘導する」しかしどこへ? それは、どこにも書かれていない。
「ビジョン」の中に繰りかえし強調される「小手先の解決ではない抜本的な対策」とはこういう代物なのだ。だから、「東京の道路交通の渋滞、交通公害の増大はもはや放置できない」といいつつ、その原因を「モータリゼーションの急速な進展に道路の整備が追いつかないため」と、大資太のこれまでの主張をくりかえした上で「東京の自動車交通のなかには都民の消費生活と関係の深い物資輸送が多くふくまれていることに注目しなければならない」などと見えすいた「公共性」をつけ加えてみせるだけなのだ。「住宅間題」についてはどうか? 「既存公有地の高度利用」による「高層建築」が「解決」策だとして、例えば「環八地下道の上に二十階程度の多層コミュニティ住宅群を建設し……又、グランド・ハイツ跡地にも、同様の住宅群を建設する。これは約三三万人の住宅が完成することを意味する」という。ここでは、この「計画」が、支配階級の「将来の首都圏を東京を中心にして半径二〇〜五〇キロメートルは工業地域、十五〜三〇キロメートルは中流階級の住宅地十五キロメートル以内は高層化された中・上流階級の住宅地およびビシネス地城といったゾーニングになるものと考えられる」という“予測”のもとに立てられでいることをとりあえず注意しておこう。要するにプロレタリア人民の住宅地は、「計画」としては全く存在しないのだ! 「ビジョン」によって改造された東京の都心は、官庁街、大独占の中枢本社、そして「中・上流階級」つまり支配階級の住宅街が立ちならぶわけだ。帝国主義ブルジョアジーの政治支配の中枢機能を司どる純化された「武器」東京!
「地上には耐震不燃の多層コミュニティ住宅群と超高層ビジネス・センターとを建設し、これに鎖状に連結する数個の環状高速交通システムを重ねあわせることにより多様な都市機能を統一的に抱擁する新しい大都市を創造」するという秦野と帝国主義ブルジョアジーの「都市改造計画」の意図は明らかであり、それはプロレタリア人民によって粉砕されなければならない!
しかし、秦野は「人間」の問題も自分は忘れていないといい「人間の疎外に悩まされているような事態を打破し、生きることの中に充実した意味を吹き込む機会を提供」するとして、「人間ドック専門センター」、リハビリテーション施設、区市単位の「職業相談所」「総合福祉センター」「職場内保育所」「再訓練学校」「総合スポーツ・センター」「各種学校センター」等々の設置を掲げている。つまり「高度産業社会における生甲斐論」である。われわれは、この「生き甲斐ある生活」なるものの次のような性格に徹底的に注意しなければならない。それは第一に、すでにみたような戦闘的・革命的プロレタリア運動の物理的な抹殺と隔離の上に打ち立てられる「近代的国民統合」の内容であり、支配階級は、「都市化」のもとで解体傾向にある古い「共同体的秩序」の近代的再編のために、とくに「コミュニティ問題小委員会」を設け、「生活の場における人間性の回復」なるものを語りだしている。第二に、それは、先の各種センターの名称を見ても明らかなように、深刻な「労働力不足」のもとでの「労働力確保」対策であり、そのためにはナチス・ドイツと同様にプロレタリア大衆の「余暇の管理」をも狙っているのだ。そして第三に、それは「社会福祉」の中にもつらぬかれる「社会防衛論」的現代治安政策の一環であり、「国民総背番号制度」のもとに全生活領域を「管理」されたもとでの「生き甲斐」なのである。
ロス地震に対する政府調査団がアメリカ帝国主義の「地域コミュニティ」の一つである「民間防衛隊」の「機動力」にとりわけ強い印象を受け「その資料を山ほどかかえて帰国した」ように、現在、支配階級が「生甲斐」論や「コミュニティ」論で意図としているものに警戒しなければならない。
秦野の首長権力の掌握は「非常時」における「地域自警団」の急速な形成の広範な土壌を「合法的」に育成していくことを意味しており、美濃部の「対話から参加へ」は、この危機の深まりのもとでのファシズム大衆運動の萌芽的組織化に対抗できず、革命的プロレタリア人民の闘いのみが、この恐るべき光景の実現を粉砕できるのだ。(さらに「民間ディベロッパーの大胆な都市開発への導入」や「都市の経営刷新」等については別の機会)
V 美濃部「革新」都政の現段階
(1)六七年四月の美濃部「革新」都政の成立は、「民主々義的小プルジョア」のヘゲモニーのもとではあれ、首都のプロレタリア人民の「全生活領域」への矛盾の深化とそれへの闘いの前進を表現していた。しかし、松下に対抗して立候補した社・共共同推薦の美濃部は戦闘的プロレタリア人民の闘いの内部から生みだされた候補者ではなく、従って掲げられた『八大政策』も、すでに東交反合理化闘争、日韓闘争、早大闘争を闘いぬいてきたわれわれにとって深い異和感を感じさせるものでしかなかった。だが、われわれは、運動の到達段階と、多くのプロレタリア大衆の「革新」都政への「期待」に示される階級的成熟度を美濃部の主張の中に反映されているプロレタリア的側面の闘いを通じての発展による「反ファッショ民主主義」の実践的突破によって、大きく促進していくための共同闘争として、批判的に支持し投票した.同時に、美濃部のプロレタリア運動への敵対に対しては大衆的実力闘争をもって闘うことをも明らかにした。
(2)四年経った現在、美濃部「革新」都政とプロレタリア大衆の関係はいかなる段階に入っているのか? われわれは、美濃部の「上からの施政」によりかかり狭い職能的利害から「不満」を述べることによって、自分が全く闘ってもいないことをインペイする民同官僚たちの「美濃部批判」や、また「都知事権限」や「力関係」によって、美濃部と自らを『免罪」する「美濃部擁護」とは全く区別された厳密な評価を行なわなければならない。(ここでは要点に限る)
四年間の「革新」都政が、朝鮮大学校の認可、王子野戦病院、米軍射爆場新島移転反対等、「政治的民主々義」の領域と「シビル・ミニマム」へと至る「社会福祉」等の領域における一定の「成果」を「評価」してもいいだろう。帝国主義ブルジョア政府と部分的な「対立」を含みつつ為されたそれらがプロレタリア人民の現実の状態の改善において全く微々たるものでしかなく、決して社共が「理念的に」大宣伝するようなものではないにせよ、この社会には虐げられ、闘う力もないまま放置されている多くの人々が存在しており、美濃部がその「陽のあたらぬ場所に光をあてた」ことが、帝国主義ブルジョアジーの「支配階級としても」為すべきことすら放置している醜悪な姿を一定程度暴き出したのであるから。(美濃部の「社会福祉」や「公害」への態度が、資本主義的災害へのプロレタリア人民の怒りの集中を押し止める役割を一方では果しているのだが)
しかし、重要なことは、「政治的民主々義」や「社会福祉」が、プロレタリア大衆にとって、それ自体として独立した意義を持つのではなく、獲得したこれらを汲み尽すことによって根本的な政治的・社会的解放に向けて前進する条件となるという点で大きな意義をもつということである。しかし、まさにこの点に於いて、「都民党」路線の反プロレタリア性と、地方行政権力としての「革新首畏」の姿が立ちあらわれる。(そして、同じくこの点においてわれわれ自身の美濃部の「施策」というかたちであれ、プロレタリア大衆の圧力を受けぞの「部分的改良」を闘いの前進に向けて汲みつくしてしまうことでの立ちおくれが自己批判されねばならないのだが)「革新」都政の最初の行動が、「東交財政再建」合理化であったことは象徴的である。これを、東都政の「事後処理」であり都市交通への「都知事権限」の問題だとして「免罪」した社・共が「画期的な高度累進課税」(!)として称賛した「水道財政再建」合理化が、料金としても実質的な値上げを含み、さらに水道労働者たちを身分差と夜間労働と賃下げの「労働監獄」にたたき込んだのだ。四年前、われわれが、美濃部の「近代化は容認する」という主張は、「矛盾の帝国主義的解決」としてのブルジョア的近代化=合理化の手のうちだという批判を社共は「観念的批判」だといった。今、そのことは、現実的な姿をとった攻撃としてプロレタリア人民に襲いかかっており、又、それへの大衆的実力闘争が日本全土で開始されており、七〇年安保決戦はそれらに鮮明な政治的方向を提示した。美濃部「革斯」都政は、もはや現実的な桎梏として実践的に突破しなければならない段階をわれわれは迎えている。
さらに、この「革新」都政を政治的に支えてきた社共のここ四年間における反プロレタリア性の強化を見ておかなくてはならない。社会党の帝国主義社民への転化に対しては、われわれはすでに実践的暴露の闘いを進めてきている。ここでは、三里塚闘争に対する社会党の態度(それは、反帝社民とくに社会主義協会向坂派によって進められ、ちなみに「木原代議士」は向坂派の指導部の一人である)が七〇年代における反帝社民の役割を再び全人民の前に暴露したことに注意しよう。又、第一一回大会以降の日共が、「政策の具体化」「人民的議会主義」「公務労働論」等と、地方自治体闘争の「戦略化」等、理論的・実践的にその反プロレタリア性を「緻密化」してきていること。
W 今都知事選へのわれわれの態度
(1)すでに見たように、秦野の立候補は、首都のプロレタリア人民のうっ積する怒りを、「矛盾の抜本的解決」というデマゴギーによって吸引し、首都行政の首長権力の掌握によって「合法的に」ファシズム大衆運動の突撃的形成の広範な土壌を「近代的国民統合」として生み出そうとするものであり、昨年十月の沖縄「国政参加」選挙にひきつづき、今都知事選は帝国主義ブルジョアジーの、「戦略的」攻撃としての性格を帯びてきている。俄かにマスコミ紙上に躍り出た「東京大地震」情報を最大限に政治的に利用しつつ、七〇年安保決戦の血の弾圧者秦野は、今や「大地震」からの首都の“救済者”として立ちあらわれている。われわれは、このような秦野の首長権力の掌握を決して軽視することはできず、最大限の警戒を払わなければならない。しかし同時にファシズム大衆運動を選挙と議会によって「合法化」しようとする攻撃に対して、選挙と議会をソビエト運動の全プロレタリア人民への波及をさらに押し進める一つの契機として汲み尽すことを根底にすえつけていないあらゆる「秦野の打倒」は、結局のところ、「よりましな」主義にひきずり込まれるだろう。
美濃部と社共がそういうものとして今都知事選を闘いえないのは明らかである。まして、支配階級の攻撃を選挙と議会をもって制限し、あわよくば議会の多数派として既成の国家権力を掌握し、さらに「革命」に「連続移行」が可能だという主張は、プロレタリア人民への最も悪質なデマゴギーである。
(2)そして、われわれは今都知事選をいかに闘うべきか? 七〇年安保決戦を闘いぬいた現在、帝国主義ブルジョア政府打倒へ向けて更に前進するために、「戦後革新勢力」の実践的突破はますます緊急の課題となっている。すでに東水、都職、東交、教組等都労連傘下の戦闘的プロレタリアートの闘いをはじめとして、多くのプロレタリア人民の闘いは繰りかえし、「革新」都政との対立を深めており、さらに、「福祉行政」の足もとから、多くの「地域住民」の闘いがつき出されている。これらの闘いの発展こそ、秦野と秦野を押し上げる社会的勢力と根本的に対決していく萌芽なのであり、われわれは、これらの闘いの上に立つ独自立候補をもって都知事選を闘いぬくことを実践的に考慮しなけれぱならない段階を迎えている。
(3)われわれの独自立候補をもっての闘いは、前に見たように「革新」都政と対立を深めつつある闘いの結合とそれによって開示された「要求綱領」(日共の「陳情運動」ともブルジョア的・社民的「都政能力」とも根本的に区別された)の上に為されるのであり、それによって全日本のプロレタリア人民の階級形成を強力に推進するものとして闘われねばならぬ。われわれは、そのことを真剣に考慮した。しかし、秦野の登場という情勢のもとでの今都知事選をわれわれは全プロレタリア人民への貴任をもつものとして独自立候補をもって闘うことができない。
「しかし、今さら美濃部を支持などできない」という多くの戦闘的プロレタリア大衆の強い実感は、「革新」都政への間違ってはいない評価を含んでいる。同時に、「それでは、秦野に対して今都知事選においていかに闘うのか?」という四年まえとははるかに緊張をはらんだ自問が、明らかに七〇年安保闘争の「四年間」での階級的前進を示すものとして、一方での「今こそ首都に革命的プロレタリア運動の巨大な隊列と革命的労働者党を!」という衡動と他方での「結局のところ美漉部に投票するしかないのか?」という一種の“気落ち”をはらんで行なわれていることに注意しなければならない。社・共の★痴呆的な「秦野の警察都政に対して美濃部の擁護を」とは根本的に区別されるプロレタリア大衆のこの模索こそ階級形成の現段階を示すものとして、われわれ自身が内在し、かつ突破すべき地点である。われわれは新たな決意をもって言わなければならない。美濃部がプロレタリア運動に敵対を深めつつ、しかし、「民主々義的小ブルジョア」として秦野と帝国主義ブルジョア政府に「対抗」する限りにおいて、われわれは、今都知事選において、美濃部を批判的に支持しなければならぬ。しかし、この帝国主義ブルジョアジーとの闘いにおける「反ファッショ民主々義」勢力との共同闘争は、階級闘争の現段階では、可能な限り急速なこの勢力の実践的突破の行動が現在的に強化されないならば、プロレタリア運動にとって直接の危険となるだろう。このことを厳重に注意しつつ秦野を打倒していくために、美濃部「革新」都政を実践的に突破していく闘いと隊列を現在的に強力に構築していかなければならない。そして、このことを本格的に実現していく上で、七〇年安保決戦を闘いぬいた現在という新たな地平での今都知事選をめぐる「反ファッショ民主々義」勢力との共闘と対立は、全力でくぐらなければならぬ“試練”である。秦野を粉砕していく闘いの一環として、美濃部を批判的に支持せよ!